【麒麟がくるキャスト】細川藤孝(眞島秀和)は明智光秀と親友?最期はどうなる?

細川藤孝と言えばその前には決まって「光秀の盟友」とか「文武両道の達人」といった形容詞が就きます。

天文3年(1534)年の生まれですので、信長と同年です。

没年は慶長15(1610)年ですので、76歳となり、家康の73歳を上回る長寿でした。

藤孝は本能寺の秘事を誰に語ることもなく旅立っていきました。

静かに、しかも充実した思いで。

それ故、私たちは今になっても「本能寺の変の真相」で激論を戦わす楽しみを持つことができるのです。

それでは「麒麟がくる」の藤孝にどんな秘事があったのか、今回も歴史の暗部に立ち入ってみたいと思います。

【麒麟がくる】細川藤孝は眞島秀和さんが演じる

眞島秀和さんは、「天地人」での豊臣秀次、「軍師官兵衛」での顕如に続き3回目の大河出演です。

秀次は、秀吉から関白を譲り受け、新時代を創ろうとしますが、秀吉に実子秀頼が産まれたため、謀反の嫌疑がかけられ切腹させられた悲劇の人物です。

秀和さんは短期間でその明と暗をよく演じ分けていたなという記憶があります。

秀次・顕如とも登場シーンは限られる人物ですが、今回の藤孝は第5回の登場から最終回まで演じ続けることになりますので、槇島さんの代表作の一つになることを期待しています。

司馬遼太郎は小説「国盗り物語」をどのように終わらせるのか悩んだ末、信長の四十九日を待って藤孝が上洛し、本能寺の焼け跡で信長追悼の連歌会を催すことで、鮮やかに余韻を持って終わらせています。

一方ドラマの方は、竹槍を受け落馬した光秀が前を見据え先に進もうとするも立ち上がれずに絶命するシーンで終わっていたと記憶しています。

私は近藤正臣さんを見る度にこのシーンが頭に浮かびます。

今回はどのようなエンディングになるのでしょうか

私の予想と言うよりは期待に近いものを最後に述べますが、演ずることになるのであれば、槇島さんよろしくお願いします。

細川藤孝は明智光秀と親友?二人の出会いは?

「国盗り物語」での二人の出会いは、光秀が浪人となり諸国遊行中の弘治2(1556)年冬、近江朽木谷で油をなめる妖怪が実は藤孝であったという逸話で始まっていますが、今回は天文17(1548)年の三好長慶襲撃事件の直前、本能寺の門前での斬り合いという形で二人は既に出会っています。

そこでは、十兵衛が背負っていた鉄砲を咎めた藤孝が一方的に斬りつけるという展開で、光秀より6歳若い藤孝は血気盛んな若者として登場しました。

十兵衛の剣に「東国の型」がある見抜いた剣豪将軍義輝の仲裁で事態は収まりますが、塚原卜伝をともに師とする3人の繋がりが明かされたシーンでもありました。

三好長慶襲撃事件では、同じ敵を前と後から同時に斬りつけるという同門ならではの息の合った立ち回りを演じ迫力満点でした。

「燈火親しむ」ために油を必要とした藤孝と鉄砲を咎めた藤孝、いずれも斬り合いとなりますが、藤孝の持つ文武両道のどちらを出すかによって描き分けられていて面白い
ですね。

出会ったからの二人はすぐに「足利幕府再興」のため盟友として奔走します。

当面のクライマックスは、義輝弑逆後の奈良興福寺一条院から義輝の弟義昭を救出する場面でしょうか。

ここでは医師米田求政(こめだもとまさ)が義昭の仮病を巧みに演出し脱出に貢献したことが伝えられていますが、ドラマでは東庵が代わって登場するかもしれません。

医師東庵と助手十兵衛のコンビがここでも活躍すると面白いと思います。

さて話は「武」の方へ行きがちですが、「文」の方ではなんといっても「古今伝授」です。

天正4(1576)年三条西実枝から古今伝授を受けますが、和歌の腕前も、連歌の才能も相当なものであったと言われています。

藤孝も光秀も連歌を政治的にも利用していますが、その教養レベルは他の武将の及ぶところではありません。

私も学生時代に京都一乗寺の下宿先で、光秀を偲び友人達と酔狂にも連歌会をしたことがありますが、とても楽しかったことを覚えています。

藤孝はこの古今伝授を慶長9(1604)年三条西実条に返し伝授し、律儀な側面を覗かせています。

また、慶長2(1597)年にも誰も執り行う者のいない義昭の葬儀も出しています。

【麒麟がくる】で細川藤孝の最期はどう描かれていくのか考察

晩年の藤孝を考察する上でその起点はやはり本能寺であると思われます。

それは盟友光秀の懇願にも拘わらず、何故藤孝は応じなかったのかという疑問があり、これがその後の藤孝の人生を決めてしまっていると考えられるからです。

一般的には、主殺しの汚名を被った光秀に最終的な勝利は望めないと判断したからと言われていますが、藤孝がこんな日和見的な立場でいたとは到底思えず、諸説ある「本能寺の真実」のどれを採用するかによって藤孝の決断の道のりは異なってくる微妙な立場に置かれていたものと思われます。

「麒麟がくる」では家康の存在が重視されていることから、ここでは明智憲三郎氏の「光秀・家康共謀説」をベースに藤孝の後半生を占って見たいと思います。

氏の説に依れば、本能寺で討たれるべきは家康であったのに、光秀が裏切り家康と手を結び、信長を討ったとしています。

光秀は事前に計画を藤孝に話し協力を求めますが、藤孝はあろうことか秀吉に通報してしまいます。

藤孝は、天皇を超える存在を目指す信長も足利幕府復活に繋がる光秀も見捨て、新時代に相応しいのは秀吉と思い詰めてのことです。

事前に知っていれば中国大返しの手際良さも解ろうというものです。

藤孝の不参陣は筒井順慶の日和見を生み、劣勢となった光秀は藤孝の予測どおり山崎の合戦に敗れ、伏見小栗栖の竹藪で土民に討たれるということになります。

しかし鎧で守られた武者集団がそう簡単に土民に討たれると言うことは考えにくいものがあります。

逆に、もしここで藤孝の手になる者がいたとすれば深手を負った光秀の救出は可能であったとも考えられるのです。

山崎の戦いは藤孝の旧領で行われていますので、細川家には小栗栖に土地勘を持つ家臣は多かったと思えます。

しかし救出できたとしても、天下の謀反人光秀が隠れ住む所は畿内にはないはずです。

藤孝はどこに光秀を隠したのでしょうか?

丹後国味土野、何とガラシャが幽閉されたところです。

ここの警固はどんなに厳しくとも怪しまれません、謀反人の娘がいるところですから。

光秀はここでガラシャに仕えていた駒の治療と看護を受け、後遺症はあるものの一命は取り留めます。

やがて長男の十五郎が細川家に保護され共に暮らすことになります。

14歳の十五郎は坂本城で自害したと言われていますが生存説もあり、光秀の唯一の肖像画のある本徳寺の開基となったとされています。

ここで十五郎は光秀からその学識を受け継ぎます。

細川家の庇護のもと謀反人親子の切なくも穏やかな生活が、2年後に光秀が亡くなるまで続きます。

この時、藤孝はガラシャの赦免を秀吉に申し出ます。

自分も信長を裏切っていることが世間にばれることを恐れる秀吉は承諾せざるを得ません。

十五郎は仏門に入り、妙心寺で更に学識を積み重ねつつ、二人は関ヶ原を迎えます。

ガラシャはこの戦役での戦死者第1号となることで東軍勝利の嚆矢を放ち、十五郎は藤孝の推挙を受け家康に仕え、やがて天海と呼ばれるようになります。

家康も光秀との共謀がばれることを恐れたのでした。

慶長10年死の床に就いた藤孝はこう呟くのです。

十兵衛、儂らの生き様は夢・幻の如くではなかったぞ!

お前の娘は死を以て仇敵豊臣を葬り去らんとしており、息子はなんと「麒麟の来た世」を皆に見せようとしておるのだ と。

細川藤孝、友を裏切りつつも友との理想を追い求めた複雑な人生であったのです。

【関連記事】
麒麟がくるキャスト相関図一覧!出演者のコメントも!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です